同じ年、同じ現象。なのに公的な数字が2〜3倍ちがう
どちらも嘘をついていません。測っているものが違うだけです。
その「違い」の見つけ方を、3つの実例で確かめます。
⚡ 先に結論(5行)
- 「ランサムウェア被害でバックアップから戻せた割合」は、資料によって73%とも20.2%とも書けます。JNSAの調査は73%、警察庁の令和7年統計は20.2%。3.6倍の開きがあります。
- もっと極端な例が、同じ役所の中にあります。令和7年の特殊詐欺の被害額は、警察庁の資料で1,414億円とも3,241億円とも書かれています。同じ年、同じ役所、同じ犯罪。2.29倍の差です。
- 差の正体は計算で確かめられます。3,241億円から1,414億円を引くと1,827.0億円。これはSNS型投資詐欺とSNS型ロマンス詐欺の合計と、1円単位で一致します。片方はこの2手口を含み、もう片方は含んでいない、というだけでした。
- だから「どちらが正しいか」は問いとして間違っています。正しい問いは「この数字は何を数えているか」。母集団・期間・質問文・分母・分類基準——このどれか1つが違えば、数字は簡単に2倍3倍動きます。
- あなたがやること:数字を見たら「分母は何か」「いつのものか」「誰に聞いたか」の3つだけ確認してください。この記事の食い違いは、すべてこの3つのどれかで説明がつきました。
📌 一言でいうと ── 統計が食い違っているとき、たいてい誰も嘘をついていません。定義が違うだけです。そしてその定義は、たいてい注記に小さく書いてあります。
📋 目次
📖 同じことを測って、違う数字が出る
この記事は、統計の「読み方」の話です。
ニュースの数字が、別の記事と合わないとき
「サイバー攻撃の被害は○件」「詐欺の被害額は○億円」。こうした数字を見て、別の記事の数字と合わなかった経験はないでしょうか。どちらかが間違っているように見えます。
実際に調べてみると、たいていどちらも正しいのです。ただし、測っているものが違います。この記事では、公的な資料から実際に見つけた3つの食い違いを分解して、どこで差がついたのかを追います。
3.6倍ちがう
バックアップから戻せた割合
ランサムウェアの被害を受けて、バックアップからデータを取り戻せた組織の割合。 JNSAの調査は73%、警察庁の令和7年統計は20.2%。 どちらも信頼できる出典です。
2.29倍ちがう
令和7年の特殊詐欺 被害額
同じ警察庁の資料で、1,414.2億円とも3,241.1億円とも書かれています。 同じ年、同じ犯罪、同じ役所。この記事でいちばん驚いた食い違いです。
1.8%ちがう
2023年のカード不正利用被害額
540.9億円と531.1億円。差は小さいのですが、原因が別です。 統計は公表された後に書き換わることがある——という話になります。
💾 ケース1:3.6倍ちがう「復元できた割合」
ランサムウェアの被害から、データを取り戻せたか。
ランサムウェアはデータを暗号化する攻撃です。だから最大の関心事は「取り戻せたのか」。ここに2つの公的な数字があります。
📊 バックアップからデータを取り戻せた割合
警察庁の数字をもう少し細かく見ると、こうなっています。
| 警察庁 令和7年 | 件数 | 割合 |
|---|---|---|
| バックアップを取得していた | 105/116 | 90.5% |
| そこから復元できた | 20/99 | 20.2% |
| 復元できなかった | 79/99 | 79.8% |
一方、JNSAのレポートはこう書いています。「データを復旧できた組織は73%」「『復旧できた』という回答の多くは、バックアップデータからの復旧であり、バックアップデータを使わずに復旧(暗号データの復号)ができたという回答は1件のみ」。
つまりJNSA側の73%も、その大半がバックアップからの復旧です。「復旧の手段が違うから比べられない」では片づきません。本当に食い違っています。
🕵️ なぜ違うのか——5人の容疑者
差を生みうる要因を、ひとつずつ検証します。
統計の数字が食い違うとき、原因はだいたい5つのどれかです。順番に当ててみます。
👥 母集団——誰に聞いたか
これが最有力です。JNSAは被害を公表した約1,800事例に依頼し、答えてくれた118件(回答率6.6%)のうちランサムウェアが29件。警察庁は警察に報告された分です。アンケートに答える余裕がある組織は、たいてい対応がうまくいった組織——という偏りが起きえます。
🏢 対象の規模——どんな組織か
警察庁の令和7年のランサムウェア被害報告226件のうち、中小企業が143件(63.3%)。JNSA側は「被害を公表した」企業が母集団で、レポート自身が「中小企業では公表に積極的でない」と注記しています。備えの厚い大企業が多く含まれれば、復旧率は上がります。
📅 期間——いつのことか
JNSAは2017年1月〜2024年6月の7年半、警察庁は令和7年(2025年)単年。ただしこれは説明になりません。JNSAは前回調査(〜2022年6月)の50%から73%へ改善しており、時期が新しいほど上がる方向だからです。より新しい警察庁が低い理由にはならない。
❓ 質問文——何と聞いたか
JNSAは「データ復旧可否」、警察庁は「バックアップからの復元結果」。似ていますが、「一部でも戻れば復旧できた」と答えるか、「完全に戻せた場合だけ復元可」とするかで、割合は大きく変わります。設問の言葉づかいは、それだけで数字を動かします。
➗ 分母——何で割ったか
警察庁の20.2%は99件が分母です。バックアップを取得していた105件を分母にすると19.0%。一方JNSAの73%は回答29件が分母。分母が29なら、1社の回答が3.4ポイント動かします。
ここで挙げた5つは筆者が立てた仮説です。どちらの資料も「なぜ他方と数字が違うのか」を説明していません。「母集団の偏りが原因だ」と断定はできません。言えるのは、この5つのどれもが差を生みうる、ということだけです。
そして、これが統計を読むうえで大事な態度になります。「どちらが正しいか」を決めようとしないこと。両方とも、それぞれの母集団については正しく測られています。
💴 ケース2:同じ役所、同じ年、2.29倍
ここからが、この記事の本題です。
出典が同じでも、食い違うことがある
ケース1は、出典が2つでした。「別々の団体が別々に調べたのだから、違って当たり前」と思われるかもしれません。
ところが——令和7年の特殊詐欺の被害額は、どちらも警察庁が公表した資料の中で、1,414.2億円とも3,241.1億円とも書かれています。同じ年、同じ犯罪、同じ役所です。
📊 令和7年の特殊詐欺 被害額(どちらも警察庁の資料)
| 資料 | 認知件数 | 被害額 |
|---|---|---|
| サイバー情勢報告 図表18 | 27,758件 | 1,414.2億円 |
| 特殊詐欺の認知・検挙状況等について | 42,900件 | 3,241.1億円 |
| 差 | 15,142件 | 1,826.9億円(2.29倍) |
1,826.9億円の差。どこから出た差なのか、引き算で確かめられます。
🧮 差の正体を計算で突き止める
件数の差15,142件は、SNS型投資詐欺(9,538件)とSNS型ロマンス詐欺(5,604件)の合計とぴったり一致します。金額の差1,826.9億円も、この2手口の合計1,827.0億円と0.1億円しか違いません。
つまり、片方はSNS型の2手口を含み、片方は含んでいない。それだけの違いで、被害額が1,414億円にも3,241億円にもなります。どちらも警察庁が公表した正しい数字です。ニュースが「特殊詐欺の被害額は1,414億円」と書いても「3,241億円」と書いても、どちらも警察庁を出典にできてしまいます。
なぜこんなことが起きるのか。特殊詐欺の統計には、手口が増え続けてきた歴史があります。公表資料の注記には、こう書かれています。
| 時期 | 「特殊詐欺」に含まれる手口の数 |
|---|---|
| 平成16〜17年 | 3手口(オレオレ・架空料金請求・融資保証金) |
| 平成18〜21年 | 4手口(+還付金) |
| 平成22〜29年 | 8手口 |
| 平成30年・令和元年 | 9手口(+キャッシュカード詐欺盗) |
| 令和2〜7年 | 10手口(+預貯金詐欺) |
| 令和8年以降 | 13手口(+SNS型投資・SNS型ロマンス・ニセ警察) |
20年で3手口から13手口へ。数える対象そのものが増え続けています。時系列を長く見せたい資料は古い基準を残し、最新の実態を示したい資料は新しい基準を使う——どちらにも理由があります。
これは「不正確」ではなく「別の物差し」です
10手口ベースの系列は、令和元年からの推移を同じ物差しで比べられるという利点があります。13手口ベースは、いま実際にいくら盗まれているかを示せるという利点があります。目的が違えば、正しい物差しも違う。
問題は、引用する側がどちらを使ったか書かないときに起こります。
✏️ ケース3:数字は後から書き換わる
3つめは、差は小さいのですが、原因がまったく別です。
2023年(令和5年)のクレジットカード不正利用被害額を、2つの資料が書いています。
警察庁 図表25
540.9億円
キャッシュレス・レポート
531.1億円
差
9.8億円(1.8%)
原因
公表後の改訂
この2つは同じ元データ(日本クレジット協会の集計)を使っています。それでも数字が違うのは、統計が公表されたあとに修正されるからです。速報値が確定値になり、確定値もあとで直る。1.8%の差は、いつの時点の版を引用したかの違いだと考えられます。
「暫定値」と書いてある数字は、変わります
特殊詐欺の統計にも「令和7年、令和8年の数値は暫定値である」とはっきり書かれています。脆弱性の届出状況も四半期ごとに過去分が修正されます。
ケース1・2と違って、これは時間が経てば解決する食い違いです。ただし「解決する」ということは、いま引用している数字も将来変わるということでもあります。
❓ 数字を見たときの3つの質問
今回の3ケースは、すべてこの3つのどれかで説明がつきました。
➗ 質問1:分母は何か
- 「73%」の分母は29件だった
- 「20.2%」の分母は99件だった
- 分母が小さいほど、1件の影響が大きい
- 割合だけ書いて件数を書かない資料は要注意
- 「n=」を探すのがいちばん速い
📅 質問2:いつのものか
- 片方は7年半の累計、片方は単年だった
- 「暫定値」と書いてあれば変わる
- 2023年の数字が資料によって1.8%違った
- いつ公表された版か(発行日)を見る
- グラフの横軸が年度か暦年かも確認
👥 質問3:誰に聞いたか
- アンケートなら回答率を見る(今回は6.6%)
- 答えた組織に偏りがないか
- 「公表した企業」だけの集計かもしれない
- 警察への報告か、自主的な回答か
- 大企業と中小企業の構成比が違えば結果も違う
🔍 おまけ:注記を読む
- 今回の食い違いは全部、注記に手がかりがあった
- 「※」「(注)」の中に定義が書いてある
- 特殊詐欺の手口数の変遷も注3に記載
- グラフより下の小さい字のほうが情報量が多い
- 読むのに1分もかかりません
「どちらが正しいか」ではなく「何を数えているか」
2つの数字が合わないとき、ついどちらかを疑いたくなります。でも今回の3ケースでは、誰も間違えていませんでした。
正しい問いは「この数字は何を数えたものか」です。そして今回、その答えはすべて公表資料の中に書かれていました。探せば見つかる場所にあったということです。
✅ それでも動かない結論
数字が食い違っても、教訓は一致していました。
ここまで「数字は簡単に食い違う」という話をしてきました。では、何も信じられないのかというと、そうではありません。ケース1の2つの資料は、数字は3.6倍違っても、同じ弱点を指していました。
🤝 2つの資料が、同じことを言っている部分
| JNSA | 警察庁 | |
|---|---|---|
| 復旧できた割合 | 73% | 20.2%(食い違い) |
| 復旧の手段 | ほぼバックアップから | 設問自体がバックアップからの復元 |
| 暗号を解いて復旧できた数 | 1件のみ | — |
| 失敗の原因 | 「バックアップデータが暗号化されてしまったケース」 | 復元できなかった理由の66.7%が「バックアップも暗号化」 |
2つの資料は、割合こそ食い違いますが、「バックアップを取っていても、一緒に暗号化されて戻せないことがある」という点では完全に一致しています。
「バックアップから戻せる割合」が73%なのか20.2%なのかは、資料によって違います。でも「バックアップをネットワークから切り離して保管し、戻せるか試しておく」という行動は、どちらの数字から出発しても同じ結論になります。統計の食い違いに悩む前に、両方が指している方向を見るほうが早い場合があります。
📝 注意点とまとめ
この記事自体も、慎重に読んでください。
「5人の容疑者」は筆者の仮説
どちらの資料も、他方との差について説明していません。 母集団・規模・期間・質問文・分母のどれが主因かは特定できていません。 「こういう要因で差は生まれうる」という一般論として読んでください。
ケース2の一致は計算による推定
差がSNS型2手口と一致することは筆者が引き算で確かめた事実ですが、 警察庁が「そういう理由だ」と説明しているわけではありません。 ただし手口数の変遷は公表資料の注記に明記されています。
ケース3の531.1億円は逆算値
キャッシュレス・レポートの「2024年555億円、前年比+23.9億円」という記述から 筆者が引き算した値です。同レポートが2023年の数値として直接 531.1億円と書いているわけではありません。
どちらの資料も批判していません
JNSAも警察庁も、それぞれの目的に合った正しい集計をしています。 この記事は「引用する側が定義を確認しないと誤読が生まれる」という話であって、 作成者の問題ではありません。
3ケースだけの話
今回たまたま見つかった3例です。「公的統計はよく食い違う」と一般化できる証拠ではありません。 むしろ、注記まで読めば説明がつく程度には、きちんと作られているとも言えます。
この記事の数字も変わりうる
令和7年・8年の特殊詐欺統計は暫定値です。 脆弱性やカード被害額も改訂されます。この記事に書いた数字も、来年には違っている可能性があります。
ここまで見てきたことを、もう一度まとめます。
公的な数字は、簡単に2〜3倍食い違う
バックアップから戻せた割合は73%と20.2%で3.6倍。令和7年の特殊詐欺の被害額は1,414億円と3,241億円で2.29倍。
同じ役所の中でも起きる
特殊詐欺の例は、どちらも警察庁の資料です。差の正体は「SNS型2手口を含むかどうか」だけでした。件数も金額も引き算でぴたりと一致します。
確認するのは「分母・時期・対象」の3つ
今回の3ケースは、すべてこのどれかで説明がつきました。しかも手がかりは、全部その資料の注記に書かれていました。
数字が割れても、行動は割れない
73%と20.2%で食い違う2つの資料が、「バックアップも一緒に暗号化される」という同じ弱点を指していました。
統計が食い違っているのを見つけると、「どちらかが嘘をついている」と思いたくなります。実際に調べてみると、そういうケースはめったにありません。違っているのは数字ではなく、数える範囲です。
そして厄介なのは、その範囲が、たいていグラフの下の小さな字に書いてあることです。引用する人は本文の大きな数字だけを持っていき、注記は置いていく。食い違いは、統計を作る側ではなく、運ぶ側で生まれます。
数字を見たら「n=」を探してください。それだけで、この記事の食い違いの半分は見抜けます。残りの半分は、グラフの下の「※」を読めば分かります。合計2分の作業です。


コメント