情報漏えいのお詫びは、1人667円だった
500円のQUOカードを18,000人に配ると、1,200万円になります。
そしてそれは、被害額全体の3分の2でした。
⚡ 先に結論(5行)
- ある食品会社の情報漏えい事故で、最も高かった費目は「お詫びの品」でした。券面500円のQUOカードを18,000人に送って1,200万円。被害額全体1,800万円の66.7%です。システム復旧費は100万円しかかかっていません。
- 500円を配るのに、実質667円かかっています。券面の合計は900万円。残る300万円は送料と事務手数料です。配送コストが33%上乗せされている計算になります。
- そして、法律は金券を配れと言っていません。個人情報保護法が求めるのは本人への通知であって、金品ではない。この会社の顧問弁護士も「配布不要」と言っています。それでも配った理由は、社内の若手の一言でした。
- もっと不思議な事例もあります。ある小売業では、委託先が攻撃を受け、調べた結果「情報漏えいはなかった」と確認されました。それでも「おそれ」があるため本人通知を実施し、630万円かかっています。うち76%が「知らせるための費用」でした。
- 読み終えて残ること:セキュリティの費用対効果を考えるとき、多くの人は「システムを直す費用」を想像します。実際の請求書で最も大きくなりうるのは、謝るための費用です。そこは技術では減らせません。
📌 一言でいうと ── 情報漏えいの後始末でいちばん高くつくのは、直すことではなく、伝えることでした。
📋 目次
📖 この数字はどこから来たか
お詫びの品にいくらかかったかを公表した資料は、ほとんど存在しません。
「費目ごとの金額」を答えてもらった珍しい調査
情報漏えいのお詫びとして金券が配られる、という話は誰でも聞いたことがあります。ところが「それにいくらかかったか」を書いた資料はほぼありません。企業のお詫び文には金額が載りませんし、報道もそこまでは追いません。
この記事が使うのは、JNSA(日本ネットワークセキュリティ協会)のインシデント損害額調査レポートです。実際に被害を受けた組織にアンケートとインタビューを行い、費目ごとの金額を公開している、かなり例外的な資料です。
この調査のアンケート項目には、こんな費目が並んでいます。
見舞金・見舞品購入費用
今回の主役
広告宣伝活動費用
お詫び文の掲載・郵送
コールセンター費用
問い合わせ対応
システム復旧費用
一般に想像される費目
興味深いことに、この記事のために国内の情報漏えい報道1,151件を検索したところ、お詫びの品に言及した記事はわずか3件でした。しかもそのどれも、金額には触れていません。お詫びの品を配ったかどうかは、そもそも報じられないのです。
🧮 1,200万円を分解する
まず、この記事の起点になった1件を細かく見ます。
近畿地方の食品製造業(従業員20〜999名)の事例です。従業員が取引先を装ったメールの添付ファイルを開き、マルウェアに感染。顧客のメールアドレス・住所・氏名・電話番号など約2万件が漏えいしたおそれがありました。
🧾 被害額1,800万円の内訳
| 費目 | 金額 | 割合 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 見舞金・見舞品購入費用 | 1,200万円 | 券面500円のQUOカード×18,000人+送料・事務手数料 | |
| 利益(固定費) | 200万円 | — | |
| 利益(営業利益) | 200万円 | — | |
| システム復旧 | 100万円 | PCの初期化・入れ替え | |
| 事故原因・被害範囲調査 | — | 0% | ITベンダーが無償で対応 |
| 法律相談 | — | 0% | 顧問弁護士に相談(無償) |
| 合計 | 1,800万円 | 100% | 人件費込み |
※ 費目に金額が記載された分の合計は1,700万円で、公表された総額1,800万円との差100万円は、原典が「人件費込み」と注記している社内人件費とみられます。割合は公表総額1,800万円を分母に計算しています。
この会社が実際にコンピュータを直すために払ったのは100万円です。それに対してお詫びの品に1,200万円。12倍です。
そして、この1,200万円をもう一段割ってみると、もうひとつ発見があります。
💴 500円のQUOカードを1人に届けるのに、いくらかかったか
1,200万円 ÷ 18,000人 = 667円。券面500円に対して、実際の負担は667円です。差額の167円は、封筒を刷り、詰め、宛名を印字し、郵送する費用です。
「お詫びの品」は、品物より運ぶほうが重い場合がある
18,000通の封筒を用意して、住所を突き合わせて、送る。この作業自体に300万円かかっています。QUOカードの券種を1,000円に上げても運賃は変わらないので、金額が小さいお詫びほど、割高になるという性質があります。
⚖️ 法律は「配れ」と言っていない
ここがこの記事のいちばん面白いところです。
義務なのは「知らせること」であって「渡すこと」ではない
個人情報が漏れたとき、法律が事業者に求めているのは個人情報保護委員会への報告と、本人への通知です(個人情報保護法)。金券や商品券を配る義務は、どこにも書かれていません。
実際この食品会社でも、顧問弁護士は「配布不要」という意見を出しています。それでも会社は配ることを選びました。理由が、この事例の記録に残っています。
「QUOカードの配布について、顧問弁護士からは配布不要のコメントもあったが、若手社員を中心に『今の若者は個人情報漏えいに敏感では』との意見もあり、配布に踏みきった。」
── JNSA調査 NO.1 食品製造業1,200万円の支出を決めたのは、法律でも弁護士でもなく、社内の若手の一言でした。
この会社は、ほかの対応も異例に速く進めています。
🚨 発覚したその日に、できる限りの対応
ネットワーク遮断、ウイルスチェック、駆除。ウェブサイト・メール・SNSで報告とお詫びを掲載。取引先と顧客に電話連絡。警察に相談。ネットショップの販売を停止。これを1日でやっています。
📄 ホームページ・SNS等にお詫びを掲載
調査を進めながら、正式なお詫び文を公開。
🛒 ネットショップの販売を再開
停止から18日で営業を戻しています。この間の売上が、被害額に計上された「営業利益200万円」です。
調査WGの所感は、この速さを高く評価しています。理由は危機管理コンサルに相談した結果ではなく、「食品を扱う会社として、出荷した商品に問題があった際に速やかに対処してきた経験」から来たものだ、という点です。
食品会社だから、こうなったのかもしれない
食品業界には「異物が入っていたら即座に回収して謝る」という文化があります。情報漏えいの対応が異例に速かったのも、1,200万円のお詫びを即断したのも、その延長線上にあると読めます。
つまりお詫びのコストは、業種の文化によって大きく変わるということです。BtoBだけの会社なら、この1,200万円は発生しなかったはずです。
そしてこの会社は、最後にこう言っています。
「うちは大丈夫という思いが少なからずあった。しかし、被害に遭ってしまうと対応も大変で精神的な苦痛も大きいので、今後はセキュリティ対策のしっかりしたサービスへの変更ほか、サイバー保険も検討したい。」
── 同社(対応完了後、セキュリティ対策を強化し、サイバー保険にも加入)📈 お詫び代がシステム復旧費を超えた日
1,800万円の事例だけの話ではありません。
同じ調査には、1億2,400万円のランサムウェア被害事例も載っています。BtoBに加えてBtoC事業も展開する企業で、個人情報漏えいのおそれがありました。その内訳がこちらです。
🧾 1億2,400万円の内訳(NO.4・ランサムウェア感染)
| 費目 | 金額 | 割合 |
|---|---|---|
| 詫び状送付・見舞品等購入費用 | 4,500万円 | |
| システム復旧費用 | 4,000万円 | |
| 法律相談・コンサル・ダークウェブ調査 | 1,600万円 | |
| 再発防止費用 | 900万円 | |
| 事故原因・被害範囲調査費用 | 800万円 | |
| コールセンター費用 | 600万円 |
※ 赤は「謝るための費用」。合計5,100万円で全体の41.1%を占めます。
お詫び関連(詫び状・見舞品4,500万円+コールセンター600万円=5,100万円)が、システム復旧費4,000万円を上回りました。全体の41.1%です。
4つの事例で、お詫び関連費用が総額に占める割合を並べてみます。
📊 総額に占める「謝るための費用」の割合
4.1%から76.2%まで、大きく開いています。低いNO.7は海外現地法人から侵入された製造業で、個人顧客が少ない。高いNO.1とNO.12は個人顧客を多数抱える会社です。
👻 漏れていなくても、お金はかかる
この記事でいちばん不思議な事例です。
近畿地方の小売業(従業員1,000名以上)。自社は攻撃を受けていません。業務を委託していた先がランサムウェアに感染し、そこが管理していた自社の顧客情報について、漏えいのおそれが出ました。対象は20,000件以上です。
📞 委託先から「不正アクセスと業務停止」の連絡
担当者が現地を訪問して作業。自社と委託先の公式サイトで公表。
✅ 2か月後、「情報漏えいがないこと」を公表
調査の結果、実際には漏れていなかった。ここで終わってもよさそうに見えます。
📬 それでも本人通知を実施
報告書の記述はこうです。「情報漏えいはないことを確認するも『おそれ』はあるため、本人通知実施」。メールアドレスが分かる人にはメール、それ以外には文書を郵送しました。
☎️ コールセンターを1か月間、外部委託で開設
通知を受け取った人からの問い合わせに対応するためです。
🧾 「漏えいなし」で630万円(NO.12)
| 費目 | 金額 | 内容 |
|---|---|---|
| コールセンター費用 | 310万円 | 外注代金(1か月) |
| 広告・宣伝活動費用 | 170万円 | 詫び状送付(印刷・封入・郵送代金)90万円、公式サイトへの告知文、個人情報保護委員会への報告支援 |
| 交通費等 | 150万円 | 遠征作業工数、レンタカー代金等 |
| 合計 | 630万円 | うち「知らせる費用」480万円=76.2% |
情報は漏れていませんでした。それでも「おそれ」があった以上、2万人以上に知らせ、問い合わせを受ける窓口を1か月置く必要があった。630万円のうち76.2%が、その「知らせる」ためだけの費用です。直すシステムも、賠償する相手もいないのに、です。
もう1件、同じ構図の事例があります。別の小売業(従業員1,000名以上)で、委託先がランサムウェアに感染。こちらも最終的に「個人情報漏えいの事実は確認されていない」という結論でした。それでも79万円かかっています。報告書はこう書いています。
「結果として『個人情報漏えいの事実』は確認されておらず、その観点での被害無し。但し委託先からの報告を受け、個人情報漏えいの可能性がある旨を公表したため、同公表内容に関する対応・コストが発生した。」
── JNSA調査 NO.13この会社の担当者のコメントも印象的です。
「委託先からの貰い事故であったこともあって、自社で個人情報漏えいおそれの件数把握をすることができなかった。」
── 同社🧪 もし全部に配ったら
ここからは思考実験です。数字遊びとして読んでください。
1人667円という単価を、日本の1年分に当てはめる
国内の情報漏えい報道を集めたデータベースには、2025年8月から2026年8月までの752件が入っています。うち人数が判明しているのは622件、合計約4,662万人分です。
この全員に、あの食品会社と同じ「500円のQUOカード」を送ったら、いくらになるか。実際にはそうならない(法的義務ではなく、BtoBなら配らない)のですが、規模感をつかむための計算です。
🧪 1人667円で計算した場合の「お詫び代」
| ケース | 対象人数 | お詫び代 |
|---|---|---|
| 中央値の事故 | 154人 | 約10万円 |
| 事故の42.8%(100人以下) | 〜100人 | 7万円以下 |
| 事故の71.5%(1,000人以下) | 〜1,000人 | 67万円以下 |
| 事故の87.0%(1万人以下) | 〜1万人 | 667万円以下 |
| この1年で最大の事故 | 1,223万人 | 約82億円 |
| 1年分すべて(622件) | 約4,662万人 | 約311億円 |
※ 単価667円はJNSA調査NO.1の実績から算出した参考値。実際に全員へ配布されることを示すものではありません。
この表でいちばん大事なのは、いちばん上の行です。
ふつうの事故なら
中央値154人
約10万円
9割近くの事故は
1万人以下
667万円以下
最大の1件だけで
1,223万人
約82億円
つまり
お詫び代は
人数に比例して爆発する
ほとんどの情報漏えいでは、お詫びの品は大きな金額になりません。中央値154人なら10万円です。問題は、金額が人数にそのまま比例することにあります。システム復旧費は漏えい人数が10倍になっても10倍にはなりませんが、お詫び代は正確に10倍になります。
だから「持っている個人情報の件数」が、そのまま金額のリスクになる
使っていない古い顧客リスト、退会者のデータ、キャンペーン応募者の名簿。持っているだけで何もコストがかからないように見えて、事故が起きた瞬間に1人667円の請求書に変わります。
1万人分の使わないリストを消せば、この計算では667万円分のリスクが消える、ということになります。
💡 この話から言えること
数字遊びで終わらせないために。
🗑️ 個人情報は「在庫」として管理する
- お詫び代は件数に正比例する
- 使っていない名簿は持つだけでリスク
- 1万人分を消せば667万円分の想定コストが消える
- 退会者・応募者・過去の顧客リストを棚卸しする
- 「念のため取っておく」がいちばん高くつく
📞 「知らせる」体制を先に決めておく
- NO.12の費用の76.2%が「知らせる費用」
- コールセンターは1か月310万円という相場感
- 詫び状の印刷・封入・郵送だけで90万円(2万件)
- メールアドレスがあれば郵送費が減る
- 連絡手段の質が、そのまま金額になる
🎁 「配るかどうか」を平時に決めておく
- 法的義務は本人通知であって金品ではない
- 実例では顧問弁護士が「不要」と言った上で配った
- BtoCなら配る前提で試算しておく
- 券面より送料・事務手数料(+33%)を忘れない
- 事故の渦中に決めると、判断が感情に寄る
🤝 委託先の事故は「貰い事故」になる
- 自社が攻撃されなくても費用は発生する
- 漏えいがなくても「おそれ」で通知義務が動く
- 実例では630万円と79万円
- 2社とも委託先に損害賠償請求をしていない
- 契約で責任分界点を決めておく価値がある
「お詫びの品を配らなければ安く済む」という話ではありません。実例のうち2社は損害賠償請求すら行わず、1社は「顧客からの問合せは一件もなかった」と答えています。お金をかけた会社と、かけなかった会社で、その後の信用がどう違ったかは、この調査からは分かりません。
📝 注意点とまとめ
数字が印象的なぶん、限界をはっきりさせておきます。
「667円」は1事例からの計算
JNSA調査NO.1の記載(1,200万円/QUOカード500円×18,000人)から筆者が割り算した値です。 統計的な相場ではありません。券種・件数・配送方法で大きく変わります。
311億円は思考実験
実際に全員へ配布されるわけではありません。法的義務ではなく、BtoB取引や メールで完結する通知も多い。規模感をつかむための計算として読んでください。
事例は4件しかない
お詫び関連費用の金額が明示されていたのは、13事例のうち4件です。 4.1%から76.2%まで散らばっており、「平均○%」と言える段階ではありません。
法律の話は簡略化している
個人情報保護法の報告・通知義務には要件や例外があり、すべての漏えいで一律に発生するものではありません。 実際の判断は、必ず専門家に確認してください。
業種の文化に大きく左右される
1,200万円を即断したのは食品会社でした。回収と謝罪の文化がある業界です。 同じ規模の漏えいでも、業種によって金額はまったく変わります。
効果は測られていない
お詫びの品を配ったことで、信用がどれだけ守られたのかは誰も測っていません。 この記事は「いくらかかったか」の話であって、「配るべきか」の答えではありません。
ここまで見てきたことを、もう一度まとめます。
お詫びの品は、被害額の最大費目になりうる
1,800万円の事例では66.7%、1億2,400万円の事例では詫び状・見舞品だけで36.3%。後者はシステム復旧費4,000万円を上回りました。
500円を届けるのに667円かかる
券面900万円に対し、送料・事務手数料が300万円。33%の上乗せです。金額の小さいお詫びほど、割高になります。
法的な義務ではない。それでも配られる
義務は本人への通知であって金品ではありません。顧問弁護士が「不要」と言った上で、社内の若手の意見で1,200万円が決まりました。
漏れていなくても、知らせる費用は発生する
「漏えいなし」を確認したのに630万円かかった事例があります。うち76.2%が知らせるための費用でした。
セキュリティの投資対効果を考えるとき、多くの人が思い浮かべるのは「システムを直す費用」です。ところが実際の請求書を開けると、そこに載っているのは封筒代、印刷代、郵送代、コールセンターの委託費、そしてQUOカードの代金でした。
技術で減らせるのは、事故が起きる確率です。事故が起きたあとの「謝る費用」は、技術では1円も減りません。減らせるのは、持っている個人情報の件数だけです。
いま自社が持っている個人情報が何件あるか、答えられますか。その件数が、事故が起きた日にそのまま金額に変わります。1人667円という数字は1事例からの試算にすぎませんが、「件数×単価」という形になること自体は、どの事例でも変わりませんでした。


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