コアパスワードは本当に安全か?IPAが推奨する「共通パスワード+サービス名」を攻撃側から検証する

パスワード運用リアル診断 第1回

コアパスワードは本当に安全か?
IPAが推奨する「共通パスワード+サービス名」を攻撃側から検証する

2026年7月27日更新 / あなたのルールが何段目にいるかを診断できます(パスワードは入力しません)

「パスワードの使い回しが危ないのは知っている。でも、全部バラバラにしたら絶対に覚えられない」

「だから、覚えやすい共通の文字列を1つ決めて、サービスごとに違う文字を足している。これなら使い回しじゃないはずだ」

「……本当に、そう言い切っていいんだろうか?」

この記事は、その最後の一行に答えるために書きました。先に結論だけ言っておきます。あなたのやり方は素人の思いつきではありません。IPA(情報処理推進機構)が「コアパスワード」という名前を付けて、いまも公式に推奨している方式とほぼ同じです。

ただし、それで話は終わりません。攻撃する側の道具箱を開けてみると、私たちが「自分だけの工夫」だと思っている変形が、10行のテキストファイルにきれいに整理されて入っています。この記事では、その10行を実際に見てもらいます。

⚠ この記事の立場について

この記事はIPAの推奨を「間違い」として否定するものではありません。IPAの推奨には成立するための前提条件があり、その前提が2026年の環境でも成り立つのかを検証します。また、攻撃ツールの実行手順・コマンドは一切掲載しません。掲載するのは「攻撃者が何を優先して試すか」という公開情報のみです。

30秒でわかる結論

パスワードの運用は「安全か、危険か」の二択ではありません。次の5段階のどこにいるか、という地図の問題です。

やり方1件漏れたとき覚える負担
レベル0全サービスで完全に同じパスワード試すだけで全部入られる最小
レベル1末尾にサービス名や数字を足すだけ数十回の試行で他も破られうる
レベル2ずらす・数字化するなど加工した派生1件だけならすぐには破られない。ただし2件揃うと規則が確定する
レベル3 ★レベル2 + 主要サービスに多要素認証/パスキーパスワードだけでは入られない(ただし認証アプリやSMSは偽サイト経由の攻撃で突破されうる。パスキーが最も強い)
レベル4パスワード管理ツールで全部バラバラ+パスキー他のサービスに影響しないツールに依存

★レベル3が現実的な合格ラインです。レベル4(管理ツール)が理想ですが、「会社で禁止されている」「親のパソコンには入れられない」といった制約は現実に存在します。この記事は、その制約を抱えたままでも到達できる合格ラインを示すことを目的にしています。

先に自分の段を診断する(パスワードは入力しません)

CHAP1

第1章 / 全8章

あなたのやり方には、ちゃんと名前がある

それは思いつきではなく、IPAが推奨する「コアパスワード方式」です

まず、鍵の話をさせてください。

家の鍵をイメージしてください。鍵には細かい刻み(ギザギザ)があって、その形がそのまま「開く/開かない」を決めています。ここで、10軒ぶんの鍵が必要になったとします。10本を全部バラバラの形にすると、どれがどれだか分からなくなる。そこで、刻みの大部分を共通にしておいて、先端の1山だけを家ごとに変えることにしました。これなら覚えられます。

これがコアパスワード方式です。そして、この方式の弱点も、この比喩がそのまま説明してくれます。鍵を1本でも他人に見られたら、残りの9本は「先端の1山を削り直すだけ」で作れてしまう。共通部分こそが鍵の本体だからです。

IPAは、いまもこの方式を推奨している

これは筆者の解釈ではなく、公的機関が明文で推奨している方式です。IPAのページから原文を引用します。

「自分の趣味や興味のあることなどから決めた短いフレーズを基に、任意の変換ルールを適用して、憶えやすく、強度の高いパスワードを作成します。これを全てのパスワードに共通して使用する“コアパスワード”とします。」

「(…)サービス毎の識別子として、コアパスワードの前または後に追加します。」

「(…)コアパスワードのみを暗記し、サービス毎の識別子は電子ファイルや紙で記録します。」

出典:IPA「不正ログイン被害の原因となるパスワードの使い回しはNG」(2016年8月3日公開/2025年6月17日最終更新

ここで多くの人が誤解します。「2016年の古い情報でしょう」と。違います。このページは2025年6月17日に更新されており、さらにIPAが2025年8月28日に出した新しい注意喚起からもリンクされています。撤回されていない、現行の推奨です。

しかも、これはIPAだけの話ではありません。たとえばトレンドマイクロの一般向けページでも、「基本となるパスワードを作る → サービスごとに異なるパスワードを作る → 2つを合わせる」という同じ3ステップが案内されています(2024年3月13日更新)。つまり、あなたがこの方式にたどり着いたのは偶然ではなく、日本の啓発コンテンツがそう教えてきたからです。

💡

なぜIPAはこの方式を勧めるのか

IPAが想定しているのは「パスワード管理ツールを使えない、あるいは使わない一般の利用者」です。その人が20個のサービスを使うとき、選択肢は現実には2つしかありません。①全部同じにする ②共通部分+識別子にする。この二択なら、②が明らかに優れています。IPAの推奨は「これが最善」ではなく「記憶に頼らざるを得ない人にとっての次善策」として読むのが正確です。

ここが、この記事のいちばん大事な出発点です。あなたのやり方は、何もしていない人より確実に前にいます。問題は「その前進が、どこまで届いているか」です。次の章で、攻撃する側の道具箱を開けます。

先に自分の位置を知りたい方へ

あなたのルールは5段階のどこにいる?

実際のパスワードは一切入力しません。聞くのは「ルールの形」だけ、最短2タップで結果が出ます。読み進める前に自分の現在地を知っておくと、この後の話が自分ごとになります。

診断へ移動する

第1章 おわり — 次は第2章

CHAP2

第2章 / 全8章

攻撃者が「まず試す10手」の中身

あなたの工夫は、10行のテキストファイルに入っています

パスワードを解析する道具として世界で最も広く使われているものに、hashcat というソフトがあります。このソフトには「ルールファイル」という仕組みがあり、1つの単語をどう変形して試すかを記述しておけます。

そのhashcatの公式リポジトリに、top10_2025.rule という名前のファイルが置かれています。名前のとおり、攻撃者が最も費用対効果が高いと考える「上位10手」です。全部で10行しかありません。中身は、こうです。

ルールやっていること結果の例
1:何も変えないpassword
2$1末尾に「1」を足すpassword1
3$1 $2末尾に「12」を足すpassword12
4$1 $2 $3末尾に「123」を足すpassword123
5c先頭を大文字にするPassword
6u全部を大文字にするPASSWORD
7$!末尾に「!」を足すpassword!
8d同じ単語を2回繰り返すpasswordpassword
9so0 si1 se3 ss$ sa@o→0、i→1、e→3、s→$、a→@ に一括置換p@$$w0rd
10$2 $0 $2 $5末尾に「2025」を足すpassword2025

出典:hashcat 公式リポジトリ rules/top10_2025.rule(2026年7月27日に全10行を確認)

この表を、日本の啓発コンテンツでよく見る助言と並べてみてください。

  • 「末尾に数字を足しましょう」→ 2〜4行目
  • 「頭文字を大文字にしましょう」→ 5行目
  • 「aを@に、oを0に置き換えると強くなります」→ 9行目
  • 「記号を1つ入れましょう」→ 7行目
  • 「西暦を入れると覚えやすいです」→ 10行目

ほぼ1対1で対応しています。攻撃者が「まずこれを試せば当たる」と考えている10手が、私たちが「工夫」だと教わってきた10手と、ほぼ同じものだった、ということです。

🚨 「Password2025! を Password2026! にしたから安全」が通用しない理由

上の表の7行目(末尾に!)と10行目(末尾に西暦)を見てください。この2つは、攻撃者のトップ10に最初から入っています。さらにhashcatには1950年から2050年までの西暦や2桁の数字を挿入するための専用ルールファイルまで標準で同梱されています。年号を1つ進める変更は、攻撃側から見ると「何も変えていない」に近い扱いです。

リート変換は16行で全部カバーされている

「aを@に、oを0に」というリート変換(leetspeak)については、leetspeak.rule という専用ファイルが別にあります。1文字ずつの置換が16行並んでおり、a→4/@、b→6、c→</{、e→3、g→9、i→1/!、o→0、q→9、s→5/$、t→7/+、x→% を網羅しています。さらにその下に、これらをまとめて一度に適用する行が1行置かれています。

つまり、この種の置換は「候補を増やす工夫」ではなく、攻撃側にとっては最初から織り込み済みの1行です。パスワードの見た目は複雑になりますが、攻撃者が試す回数はほとんど増えません。

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セキュリティ観点:これは新しい技術ではありません

同種の変形機能は、John the Ripper という別の解析ソフトにも標準で入っています。しかもその文法は、公式ドキュメントによればCrack 5.0a という、さらに古いパスワード解析ソフトのルールと「多くが互換である」と明記されています。つまり「自分だけの変換ルール」という発想は、いま思いつかれたものではなく、何世代も前のソフトの時点で、すでに自動化の対象だったということです。私たちが思いつく工夫の大半は、すでに誰かが思いつき、ファイルに書き出されています。

ここで、大事な区別をしておきます。この章で見せたのは攻撃の手順ではなく、攻撃者の優先順位リストです。これは公開情報であり、防御する側こそ知っておくべき情報です。自分の作り方がリストの何番目に当たるかを知らないままでは、対策の立てようがありません。

第2章 おわり — 次は第3章

CHAP3

第3章 / 全8章

研究が実測した数字と、その正しい読み方

「30%」を「残り70%は安全」と読んではいけません

ここまでは「攻撃者の道具にそういう機能がある」という話でした。では、実際にどれくらい当たるのか。これは学術研究が実測しています。

研究1:変形されたパスワードの約30%が、100回以内に当たった(2014年)

2014年の国際会議NDSSで発表された研究では、11のWebサイトから漏えいした数十万件のパスワードを分析しました。同じ人が複数サイトで使っていたパスワードのペアを集め、片方が攻撃者に知られているという前提で、もう片方を推測できるかを試しています。

結果は、完全一致しなかった(=変形されていた)パスワードのうち、約30%が100回以内の試行で推測できたというものでした。

この数字を読むときに、絶対に外してはいけない対照群があります。既知パスワードという手がかりを使わない通常の推測アルゴリズムでは、同じ条件で14%でした。つまり「1つ知られている」だけで、成功率が2倍以上に跳ね上がっています。

⚠ 「30%」の母集団を間違えないでください

この30%は「全パスワードの30%」ではありません。「変形して使い回されていたパスワードのうち30%」です。また、この数字は「自分は残り70%側だ」と読むためのものでもありません。理由は、この章の最後で説明します。

研究2:条件が揃うと100回以内で73%(2016年)

「2014年の研究は古いのでは」という疑問はもっともです。では、より新しい研究を見ます。

2016年のACM CCSで発表された標的型パスワード推測の研究では、被害者が別のサービスで使っているパスワード(シスターパスワード)が1つと、個人情報が与えられた場合、100回以内の推測で通常の利用者に対して73%を超える成功率を達成したと報告されています。セキュリティ意識の高い利用者に対しても32%を超えました。

「100回以内」という条件は、オフラインの総当たりではなく実際のログイン画面に対する現実的な試行回数です。10種類の大規模な実データセットを使った実測値です。

研究3:「人間がどう変形するか」自体が機械学習された(2019年)

そして、この分野で最も重い意味を持つのが2019年の研究です。IEEEのセキュリティ・プライバシー会議で発表されたこの研究は、14億件の漏えいメールアドレスとパスワードの組を使って、「人間がパスワードをどう変形するか」というパターンそのものをニューラルネットワークに学習させました。

結果、別のパスワードが1つ知られている状態から、1,000回未満の推測で16%を超えるアカウントを侵害できると報告されています。

ここが決定的です。2014年の研究は「人間が手作業で書いた変形ルール」を使っていました。2019年の研究は、変形のクセそのものをデータから学んでいます。「自分だけのオリジナルな変換ルール」という発想は、この時点で学習される対象の側に回りました。

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3つの研究を並べると見えるもの

2014年に30%、2016年に73%(条件付き)、2019年に機械学習によるモデル化。時間が経つほど、攻撃側の数字は良くなっています。「昔の研究だから古い」ではなく、「昔からわかっていて、その後さらに強くなった」というのが正確な読み方です。

そして、漏えいはあなたの不注意では防げない

ここまでの話には「1件はすでに漏れている」という前提がありました。多くの人はここで「自分は怪しいリンクを踏まないから漏れない」と考えます。しかし、パスワードが漏れる原因の多くは、あなたの側ではなくサービス側の事故です。どれだけ良いパスワードを作っても、預けた先から漏れるのは防げません。

規模の感覚をつかむために、直近の数字を1つ挙げます。漏えい確認サービスの Have I Been Pwned には、2026年6月に、情報窃取型マルウェアのログから5,630万件のメールアドレスと1億2,400万件のパスワードが追加されました。これは1か月ぶんです。

「自分のパスワードはまだ漏れていない」という前提は、毎月、静かに崩れ続けています。そして重要なのは、あなたには自分の1件目がいつ漏れたか分からないということです。

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この記事の中心にある一行

派生ルールの弱点は「破られる確率」ではありません。「破られたときに、全部が同時に落ちる」ことです。確率が何%であっても、規則が1度でも逆算されれば、過去・現在・未来のすべてのアカウントが同時に対象になります。単発の被害で済むか、全滅かという被害の広がり方こそが、この方式の本当の弱点です。

これは文章で読んでも、なかなか実感できません。次の章の診断で、実際に見てもらいます。

第3章 おわり — 次は第4章

CHAP4

第4章 / 全8章

【診断】あなたのルールは、5段階のどこにいる?

実際のパスワードは入力しません。聞くのは「ルールの形」だけです

ここまでの話を、自分の運用に当てはめてみましょう。下の診断は実際のパスワードを一切入力させません。聞くのは「どのくらいの長さの共通部分を、どう作って、どこに何を足しているか」という形だけです。入力内容はブラウザの外に出ず、保存もされません。

※ 診断が表示されない場合は、ブラウザのJavaScriptが無効になっている可能性があります。その場合は、この章の下にある5段階の表とチェックリスト(第7章)で判定してください。

診断のあとに読むもの

結果に応じて、次の1本へ

診断で「多要素認証が未設定」と出た方は、まずそこからです。ルールの改良は、その後で構いません。順番を間違えると、どれだけ工夫しても合格ラインに届きません。

多要素認証とパスキーの始め方 管理ツール 無料と有料の違い 共通部分そのものの強さを計算する
💡

2つのシミュレーターは、測っているものが違います

当サイトにはパスワード解読時間シミュレーターもあります。あちらが測るのは「1つのパスワードが総当たりに何年耐えるか」=縦の深さ。この章の診断が測るのは「ルールで繋がった全体がどこまで巻き込まれるか」=横の広がりです。役割が違うので、両方見ると自分の運用の全体像がつかめます。
あなたのパスワードは、1つずつ見れば強いかもしれません。でもルールで繋がっているなら、全体の強さは1つ分しかありません。

第4章 おわり — 次は第5章

CHAP5

第5章 / 全8章

なぜIPA・総務省・NISTで結論が違うのか

3つとも正しい。ただし、答えている質問が違います

ここが、この記事でいちばん書きたかった部分です。パスワードについて調べると、権威ある情報源がそれぞれ違うことを言っているという壁にぶつかります。実際に並べてみましょう。

 IPA総務省NIST(米国)
共通部分+識別子推奨している(「コアパスワード」)言及していない対象にしていない
推奨する作り方コアパスワード+サービス別識別子無関係な複数の単語をつなげる(パスフレーズ型)長さの要件のみ。作り方は規定しない
長さできるだけ長く(別ページで15桁程度)長く複雑に単要素なら最低15文字、64文字まで許容すべき
記号・大文字の強制変換ルールとして推奨推奨強制してはならない(SHALL NOT)
定期変更不要(パターン化を招くため)求めてはならない(漏えいの証拠がある場合を除く)
管理ツール推奨(ブラウザ標準機能を含む)利用を許可しなければならない
紙への記録識別子のみ記録を推奨やむを得ない場合の最終手段(施錠保管)
誰に向けた文書か一般の利用者一般の利用者・企業の従業員システムを作る側(検証者・事業者)

出典:IPA「不正ログイン被害の原因となるパスワードの使い回しはNG」(2025年6月17日更新)/総務省「安全なパスワードの設定・管理」/NIST SP 800-63B Revision 4(2025年7月31日発行)

最下段が、この表のすべてです

表のいちばん下の行を見てください。3つの文書は、そもそも読者が違います。

  • IPAが答えている質問:「管理ツールを使えない人が、20個のサービスをどう捌くか」→ 答えは記憶可能性を優先した次善策
  • 総務省が答えている質問:「一般の人が今日からできる最も無難な運用は何か」→ 答えはパスフレーズ+管理ツール
  • NISTが答えている質問:「サービスを作る側は、どういう認証を実装すべきか」→ 答えはシステム側の要件

だから、「NISTがコアパスワード方式を否定している」と書いてある記事があったら、それは不正確です。NISTはユーザーの記憶術を規定の対象にしていません。否定しているのではなく、そもそも扱っていないのです。

🔐

2026年7月時点の最新版はRevision 4です

NIST SP 800-63B は2025年7月31日にRevision 4が正式発行され、それまでのRevision 3は撤回されました。日本語の解説記事の多くは、まだ2017年のRev.3を前提に書かれています。総務省の該当ページも参照先がRev.3のままです。「記号や大文字の混在を強制してはならない」「定期変更を求めてはならない」というのは、この最新版の規定です。

2件揃った瞬間に、規則は確定する

ここまでの議論を、いちばん短い形で示します。あなたが使っているサービスのうち2つが漏えいしたとします。攻撃者の手元には、こう並びます。

漏えい済みの2件(共通部分は伏せて表示しています)

Netflix  K8!qRmNeI@#92LpX
Google   K8!qRmGoE@#92LpX

          ────────────────────────
          共通部分は同じ。違うのは3文字だけ。
          Netflix → NeI / Google → GoE
          (1文字目・2文字目・最後の文字)
          ────────────────────────

Amazon   K8!qRmAmN@#92LpX   ← 1〜数回で当たる

いま、あなたも数秒で3つ目を当てられたはずです。これが「規則の逆算」です。ここで起きていることを整理します。

  • 1件だけ漏れた段階では、加工した派生(レベル2)はすぐには破られません
  • しかし2件揃った瞬間、試行回数は「1回」に落ちます
  • 漏えい件数が増えるほど推測は難しくなる、と直感的には思えます。実際は逆で、1回に収束していきます

この「試行回数が減っていく」という性質が、パスワードの強さの話とまったく別の話であることを示しています。共通部分を16文字にしても、20文字にしても、この収束は止められません。止められるのは、パスワードが破られた後に働く仕組み——多要素認証やパスキーだけです。

そして、複数サービスの漏えいデータを名寄せして並べる作業は、すでに現実になっています。2025年6月に「160億件が流出」と報じられた出来事は、実は新しい漏えいではなく、過去の漏えいと情報窃取マルウェアのログを寄せ集めて再編集したものでした。それ自体は新規の被害ではありませんが、逆に言えば名寄せ済みのデータが無料で流通しているということです。2件を並べる作業に、特別な技術は要りません。

記事の途中ですが、いちばん大事な行動です

ルールをどれだけ凝っても、この収束は止まりません

止められるのは、パスワードが破られた「後」に効く仕組みだけです。まだ主要なサービスに多要素認証やパスキーを設定していないなら、この記事の続きを読むより先に、そちらを1つ設定してください。

多要素認証・パスキーの設定手順を見る 認証方式の種類と強さを比べる

第5章 おわり — 次は第6章

CHAP6

第6章 / 全8章

あなたはどのタイプ? 5分類で見る「次の一手」

正解は1つではありません。制約によって変わります

ここまで読んで「で、自分は何をすればいいのか」が知りたいはずです。運用は人によって制約が違うので、5つのタイプに分けて示します。自分に近いものを1つだけ読んでください。

タイプA|共通部分の末尾に、サービス名の頭文字を足している

最も多いパターンで、いまはレベル1です。1件漏れた時点で、他のサービスは数十回の試行圏内に入ります。ただし、ここから合格ラインまでは意外に近いです。やることは1つだけ。メール・ネット銀行・クラウド保存の3つに多要素認証を入れてください。それだけでレベル3に届きます。パスワードの作り方を変えるのは、その後で構いません。

タイプB|1文字ずらす・数字化するなど、独自の変換をかけている

工夫としては上位で、レベル2です。1件だけの漏えいなら、確かにすぐには破られません。ただし第5章で見たとおり、2件揃うと規則が確定します。そして自分の1件目・2件目がいつ漏れたかは、あなたには分かりません。
ここで、いちばん陥りやすい罠を書いておきます。「もっと複雑な変換にすれば解決する」と考えないでください。変換を複雑にしても、2件揃ったときの収束は止まりません。労力を注ぐ先は、変換の複雑化ではなく多要素認証です。

タイプC|重要なサービスだけ、別のパスワードにしている

判断としては正しい方向です。ポイントは「重要」の線引きが正しいかだけ。多くの人は銀行や証券を「重要」に入れますが、本当の最重要はメールアカウントです。メールを取られると、他のサービスは「パスワードを忘れた方はこちら」から順に取り戻されます。銀行に鍵を2つ掛けていても、合鍵の置き場所がメールのままなら、その効果は大きく削がれます。メールを最重要枠に入れているか、いま確認してください。

タイプD|会社でパスワード管理ツールが禁止されている

この記事の主読者です。組織のルールは個人では変えられないので、レベル3を目標にしてください。会社が管理ツールを禁止していても、多要素認証は禁止していないことがほとんどです(むしろ推奨されているはずです)。
もう1つ。会社のパスワードと私生活のパスワードで、共通部分を分けてください。同じコアパスワードを職場と私生活で共用していると、どちらか一方の漏えいがもう一方に直結します。これは今日すぐできて、効果が大きい変更です。

タイプE|高齢の親のアカウントを管理している

管理ツールの導入が現実的でない場面は確かにあります。この場合、IPAの分離管理(コアパスワードだけ暗記し、識別子は紙に書く)は今でも有力な選択肢です。「紙に書くのは絶対ダメ」という助言をよく見ますが、これは公的機関の見解と一致していません。IPAは識別子の紙記録を推奨していますし、総務省も施錠保管を条件に許容しています。
脅威モデルで考えてください。親御さんにとっての脅威は、家に侵入して引き出しを開ける人ではなく、地球の裏側から自動化された試行を送ってくる相手です。後者は、引き出しの中の紙を見ることができません。逆に、同居人や訪問者のほうが心配な状況なら、紙の保管場所には施錠が要ります。
そのうえで、優先度が最も高いのは親のメールアカウントに多要素認証を設定することです。設定はあなたが代行し、復旧用の連絡先をあなたの連絡先にしておくと、いざというとき助けられます。

第6章 おわり — 次は第7章

CHAP7

第7章 / 全8章

あなたのルールが危ないサイン

1つでも当てはまったら、その場で直せます

診断を使わずに自己判定したい方のために、チェックリストにまとめます。当てはまる数ではなく、当てはまった項目そのものを見てください。

🚨 当てはまったら要注意なサイン

  • 足す文字が、サービス名から機械的に作れる(Amazon→AMA、楽天→RAK など)
  • 足す位置がいつも同じ(毎回末尾、毎回先頭)
  • 共通部分に、辞書に載っている単語や自分の名前・誕生日が入っている
  • 共通部分が12文字未満
  • 「a→@」「o→0」の置き換えを、強度を上げる工夫だと思っている
  • 末尾の数字や西暦を1つ進めることを「変更」だと思っている
  • メールアカウントが、他のサービスと同じルールで作られている
  • 職場と私生活で、同じ共通部分を使っている
  • すべてのサービスでIDに同じメールアドレスを使い、かつ多要素認証がない

このうち、最後の3つは他と重みが違います。上の6つは「破られやすさ」の話ですが、最後の3つは「破られたときにどこまで広がるか」の話だからです。この記事の中心命題を思い出してください。問題は確率ではなく、範囲です。

逆に、これができていれば合格ラインです

  • メール・ネット銀行・クラウド保存・SNSに多要素認証またはパスキーを設定している
  • メールアカウントのパスワードだけは、他とルールを共有していない
  • 職場と私生活で共通部分を分けている
  • 共通部分は12文字以上で、辞書語や個人情報を含んでいない
  • 漏えい通知(利用サービスからのお知らせ)を無視せず、届いたらそのサービスのパスワードを変えている

第7章 おわり — 次は第8章

CHAP8

第8章 / 全8章

「管理ツールを使え」で終わらせない

使えない理由・使いたくない理由に、正面から答えます

この種の記事の多くは「パスワード管理ツールを使いましょう」で終わります。しかし読者の相当数は、それができない理由や、したくない理由を持っています。その理由は無知ではなく、多くの場合は妥当な懸念です。順に見ていきます。

懸念1「管理ツールが破られたら全滅では?」

もっともな疑問です。そしてこの懸念には、実際に根拠があります。2025年8月のDEF CON 33というセキュリティ会議で、パスワード管理ツールのブラウザ拡張機能に対する攻撃手法が公表されました。研究者がテストした11製品すべてが、少なくとも1つの手法に対して脆弱でした。

ただし、この事実の読み方には注意が必要です。この攻撃は保管庫全体を復号するものではなく、自動入力機能を悪用して情報を引き出すものでした。開発元への通知は2025年4月に行われ、Bitwarden・Dashlane・Keeper・NordPass・ProtonPass・RoboForm など多くの製品は修正済みです。

一方で、研究者本人のページによれば、2026年1月14日時点でも未修正の製品が残っており、影響下にある拡張機能は約3,270万インストールとされています。「通知したのだから、もう直っているはず」とは言い切れないのが現状です。ご自身が使っている製品については、拡張機能を最新版に更新したうえで、次の折衷案も検討してください。

ここから導けるのは「だから管理ツールを使うな」ではありません。リスクがゼロの選択肢は存在しない、ということです。比べるべきは「管理ツールの残存リスク」と「変形して使い回す運用の残存リスク」であり、この2つは規模がまったく違います。前者は特定の攻撃手法が必要で修正も進みますが、後者はすでに流通しているデータを並べるだけで成立します。

💡

不安を減らす現実的な折衷案

ブラウザ拡張の自動入力が不安なら、自動入力機能を切って、必要なときだけアプリを開いてコピーするという使い方ができます。手間は増えますが、上記の攻撃手法の前提が成立しなくなります。「全部使うか、まったく使わないか」の二択にしないことが大事です。

懸念2「会社で禁止されている」

組織の判断は個人では変えられません。この場合はレベル3を目標にするのが現実解です。多要素認証は禁止されていないどころか、多くの組織で推奨・必須化されています。加えて、職場用と私生活用でコアパスワードを完全に分けること。これだけで、片方の漏えいがもう片方へ波及する経路が切れます。

懸念3「親が覚えられない・操作できない」

第6章のタイプEで触れたとおり、この場面ではIPAの分離管理が有力です。そのうえで、優先順位を1つに絞ってください。親のメールアカウントに多要素認証を設定すること。これが最も効果が大きく、かつ本人の記憶に負担をかけない対策です。

そして、パスキーという出口

より根本的な方向として、パスワードそのものを使わないパスキーがあります。端末の指紋認証や顔認証で本人確認を済ませ、パスワードを入力しない仕組みで、FIDO2/WebAuthn という国際的な規格をもとにしています。偽サイトに入力させる攻撃が原理的に成立しないのが最大の特長です。IPAも2025年8月の注意喚起で、フィッシングに強いという理由でパスキーを推奨しています。同じ注意喚起では、不正ログインに関する相談が2025年7月に月間144件と記録上最多になったことも報告されています。

ただし、パスキーにも万能ではない部分があります。当サイトではパスキーの限界と注意点も別記事で扱っていますので、移行を考える方は両方見てから判断してください。「理想形だから何も考えなくていい」という道具は、この分野には存在しません。

第8章 おわり — 次はよくある質問

FAQ?

よくある質問

ここまでで出やすい疑問

読者から想定される質問に答えます

結局、IPAの言うことは間違っているのですか?

いいえ。IPAの推奨は「パスワード管理ツールを使えない人にとっての次善策」として正しいものです。何もしない状態や完全な使い回しと比べれば、明確に前進です。この記事が示したのはその前進には到達できる上限があり、上限を超えるには多要素認証という別の仕組みが要るということです。IPA自身も2025年8月の注意喚起でパスキーを推奨しており、重心は移りつつあります。

共通部分をもっと長く複雑にすれば解決しませんか?

しません。共通部分の長さは総当たり攻撃に対する耐性を上げますが、この記事で扱っている既知パスワードからの推測には効きません。攻撃者はゼロから作るのではなく、すでに持っている1件を変形して試すからです。共通部分が20文字でも、2件並べば規則は同じように見えます。

パスワードは定期的に変更したほうがいいですか?

漏えいの兆候がないかぎり、定期変更は推奨されていません。NIST SP 800-63B Rev.4は事業者に対し、定期変更を「求めてはならない」と規定しています。総務省も同様に不要としており、その理由として定期変更を強いるとパスワードの作り方がパターン化し、かえって使い回しを招くことを挙げています。変更すべきなのは、そのサービスの漏えいが分かったときです。

「12桁で英大文字小文字+数字+記号」なら大丈夫では?

作り方の目安としては悪くありませんが、この条件は「使い回していないこと」を保証しません。また、記号や大文字の混在を強制することについて、NISTの最新版は事業者に対して「課してはならない」としています。人間が規則を強いられると、結局「先頭を大文字、末尾に!」のような予測しやすい形に収束するためです。長さのほうが重要で、最新版は単要素認証なら最低15文字を求めています。

パスワードを紙に書くのは危険ではないですか?

「絶対にダメ」という助言は、公的機関の見解と一致していません。IPAは識別子だけを紙に記録し、コアパスワードは暗記するという分離管理を推奨しています。総務省も、やむを得ない場合は施錠できる場所での保管を条件に認めています。判断の分かれ目は脅威モデルです。同居人や職場の訪問者が脅威なら紙は不利ですが、遠隔からの自動的な試行が脅威なら紙はまったく届きません。

自分のパスワードが漏れているか調べられますか?

漏えい確認サービスで、自分のメールアドレスが過去の漏えいに含まれていたかを確認できます。ただし「出てこなかった=安全」ではありません。公開されていない漏えいや、まだ把握されていない漏えいは反映されないためです。確認結果に関わらず、多要素認証を設定しておくという結論は変わりません。

この記事に書かれた攻撃手法を試してみてもいいですか?

この記事には攻撃の実行手順は掲載していません。掲載したのは「攻撃者が何を優先して試すか」という公開情報のみです。パスワード解析ツールの使用は、自分が管理している、または明示的な許可を得た環境に限られます。他人のアカウントに対して無断で試行することは、不正アクセス禁止法(不正アクセス行為の禁止等に関する法律)で禁じられた行為にあたります。

まとめ:今日、最初にやること3ステップ

長い記事になったので、行動だけを3つに絞ります。この順番に意味があります。順序を入れ替えると効果が落ちます。

✅ 最初にやること3ステップ

ステップ1|メールアカウントに多要素認証を設定する(所要5分)
ここが最優先です。パスワードの作り方を変えるより先に、これをやってください。メールは他のすべてのサービスの復旧経路になっているため、ここが落ちると全部が落ちます。逆に、ここを止めれば連鎖が切れます。

ステップ2|ネット銀行・証券・クラウド保存にも同じ設定を広げる(所要15分)
お金と、記録が集まっている場所です。ステップ1と合わせて、これで「破られても、ログインは止まる」状態になります。この時点で合格ライン(レベル3)に到達します。

ステップ3|職場と私生活の共通部分を分ける(所要は変更するサービス数しだい)
ルールの改良に手をつけるのは、ここからで構いません。変換を複雑にすることではなく、ひとつながりになっている塊を2つに割ることが目的です。塊が2つになれば、片方が落ちてももう片方は残ります。

この記事でいちばん覚えて帰ってほしいのは、次の一行です。

派生ルールの弱点は「破られる確率」ではありません。
「破られたときに、全部が同時に落ちる」ことです。

あなたが共通パスワードに識別子を足すことを思いついたのは、無防備な状態から一歩前に出ようとした結果です。それは正しい方向でした。ただ、その一歩の先には壁があり、壁の向こうへは別の道具(多要素認証・パスキー)でしか行けません。この記事が、その道具に手を伸ばすきっかけになれば十分です。

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もう少し学びたい方へ

この記事の前後で読むと理解が深まる記事と、遊びながら覚えられるクイズです。

使い回しがなぜ危険か(前提編) パスワードはどう破られるのか 川柳クイズ パスワード編 全55問

出典・参考資料(すべて2026年7月27日に確認)

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